今年の全日本鍼灸学会は、東京大学で開催されました。
東京大学の付属病院には、以前から鍼灸師の先生が勤務され臨床と研究に励んでおられ、その先生のご尽力により、東京大学での開催が実現しました。
今回の学会の会頭である小川 卓良先生が、最近のAIや医学工学のめざましい進歩から、医学の世界に大きなパラダイムシフトが起こるのではないか、それに対して鍼灸はどうすれば良いのかという大きな命題を提示されました。
その解決の糸口を探そうと、遺伝子医学の専門家、iPS細胞の専門家からの講演を受け、その後、「これからの医療は」という命題で、総合討論を行うという企画をされました。
その内容をご紹介します。
1.個人差と遺伝子発現の多様性 東京医科大学 教授 沼鍋 博直先生
あなたに似た人がいないの遺伝子発現の違いによる
分子遺伝学と情報科学の発達により、ヒトのDNA情報、すなわち。、ヒトゲノムの解析が広く行われています。
ヒトゲノムの中で、身体作りや機能に関わるタンパク質の設計図となる遺伝子の配列は、全体の3~5%ほどされています。
先生によりますと、2017年4月5日現在で、24,001種類の遺伝子がはっきりと分かっているそうです。
ヒトゲノムの変化が、特定の疾患と関わっているとされていますが、分子生物学的にはっきりとしているのは、5,000種類ほどだそうです。
遺伝子以外のゲノム配列の中には、病気そのものの発症に関わっていないものも多くあります。
そのうち、病気へのかかりやすさ、身体的特徴、運動機能や精神活動に影響を与えるものがあり、研究が進んでいるそうです。
ヒトゲノム計画により、ヒトの24種類の染色体に含まれる33億塩基対を解読し、基本的な配列を参照配列として公開されているそうです。
この参照配列とある特定の個人のゲノム配列を比較しますと、数百万箇所でDNAの塩基の種類が異なっているのが当たり前だそうです。
例えば、あるウイルスが蔓延しているときに、すぐに感染する人もいれば、感染しない人もいるのは、このゲノム配列の違いによります。
このように、ヒトのゲノム配列は多様性に富んでいます。このことが個人差が生じる要因の一つであると説明がありました。
環境因子が遺伝子発現を修飾し、個人差が生じる
人それぞれの違いを作るのは、遺伝子によるのではと思われますが、意外に育つ環境の影響が大きいとされています。
特に胎内環境による遺伝子の修飾が大きいとされドーハッド(DoHaD)効果として、近年注目されています。
それによりますと、胎児の母親の栄養状態が良ければ、「倹約の遺伝子」がOFF隣、悪ければONとなるそうです。
「倹約遺伝子OFF」の胎児は、正常体重で出生し、成人後も健康である確率が高いそうです。
逆に「倹約遺伝子ON」の胎児は、低体重で出生し、成人後に肥満、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病になるリスクが高いそうです。
これは、「倹約遺伝子」により、摂取した栄養をからだの成長などに利用せず、貯めこもうするからと考えられています。
細胞内の遺伝子は、使われる遺伝子と使われない遺伝子が決まっていますが、環境の影響により、その決まりごとに変化が起きることがあります。
この働きをエピジェネティックと呼び、修飾された遺伝子をエピゲノムと呼んでいるそうです。
このようなことから、現在では、低体重児に成長ホルモンを投与することが、公費で認められています。
成長ホルモンを投与することにより「倹約遺伝子」を不活性化し、成人後の疾患リスクを下げることができるそうです。
このように遺伝と疾患の関連性も徐々に解明されてきているそうです。
その中でも、遺伝子の持つ多様性が、環境因子による影響を受けやすく、ある疾患にかかりやすい遺伝子へと変化すようです。
ただ、この辺りのことは、まだまだ、発展途上で、今後の研究課題とだそうです。
多様性を持つ遺伝子とそれの影響を与える環境因子により、私たちは人それぞれ異なるということだそうです。
遺伝子表現への介入
近年の遺伝子医学の進歩は、著しいようで、遺伝子発現型を成業することも可能になってきているようです。
環境因子と医学的介入により、遺伝子の発現をどのように変化させるかという研究が進められています。
先生によれば、鍼灸刺激も神経だけでなく、脳や脳内のホルモン、神経伝達物質に作用できるので、遺伝子発現を変化させる力を持っているのではないか、そういう面からも鍼灸の研究が進むことを期待しているとありました。
最後の言葉はリップサービスが強いとは思いますが、まったく可能性がないとも言えず、少なからず期待したいところです。
2.iPS細胞技術の神経系の再生医療及び疾患研究への応用 慶応義塾大学医学部 教授 岡野 栄之先生
先生からは今後、世界的すすむ超高齢社会において、iPS細胞の疾患への応用がどのように寄与するかということを中心に、今後の医療の展開についてお話がありました。
日本は既に、超高齢社会に入っていますが、今後、世界的に高齢化社会に進んでいきます。
日本は統計的な検討から2100年には、人口が3770万人程度になり、平均寿命が93.7歳になるそうです。
この超高齢化社会における医療として、iPS細胞を利用した再生医療は、すでに注目されていますが、先生から、今後、先制医療に利用できるように研究されているとありました。
先制医療とは、将来、難病になる人をならないようにする医療です。
先生の研究では、動物実験で脊髄損傷モデルにiPS細胞を移植することにより、機能回復に成功しているそうです。
ただ、臨床に利用するには、iPS細胞の樹立に3ヶ月、神経の分化に3ヶ月、合計、半年という時間がかかり、ヒトの脊髄損傷に臨床応用するには、時間がかかり過ぎる欠点があるとのことでした。
また、費用が莫大なものになり、費用的にどうかという問題もあるそうです。
そこで、iPS細胞バンクを作る計画もあるそうです。それにより費用が軽減できるそうです。
このバンクを作ることができれば、脊髄損傷だけでなく、脳梗塞への臨床応用が可能になるそうです。
他には、認知症への応用が期待できるそうです。
DIAN研究という国際的な研究により、アルツハイマー型認知症は、突然起こるのではなく、発症する30年前から徐々に進行しているそうです。
進行過程は、最初の10年は症状がなく、次の10年間に軽度認知症(MCA)になり、その後10年間かけ発症します。
iPS細胞をアルツハイマー型認知症に臨床応用することにより、発症を5年延ばすことができるそうです。
このようにiPS細胞は疾患への臨床応用がよく新聞などで紹介されていますが、それ以外に、薬の開発への応用に対する期待が高いそうです。
アルツハイマー型認知症患者から皮膚を提供してもらいiPS細胞により初期化し、その神経細胞を観察することにより、どのようにアルツハイマー型認知症になるのかを観察します。
現在、γセクレターゼ阻害薬というアルツハイマー型認知症に対するお薬かが開発されていますが、iPS研究によりγセクレターゼ修飾薬が開発されているそうです。
このお薬はアルツハイマー型認知症の原因とされるアミロイドβ42の産生を抑制することにより、アルツハイマー型認知症を予防することができるそうです。
先生によりますと、サラン、この薬を機能性食品の中に取り込み、食品として長期に渡り摂取することで、アルツハイマー型認知症を予防する研究が進んでいるそうです。
他には、iPSを利用してTリンパ球を作りがんの免疫療法に応用する研究が進んでいるそうです。
がんの免疫療法を進めていきますと、がん患者さんンのがん細胞を殺す作用のあるTリンパ球の数が減る、機能が落ちるなどあるそうです。
iPSによりがん患者さんのTリンパ球を再生し、新たに体内に注入することで、がん細胞と戦えるリンパ球が増え、がんの治療に繋がるとありました。
また、ヒトの発生生物的研究も進んでおり、その結果、ヒトがどのようなことで病気になるのか、その解決方法はどうするのかなどが分かってくるとありました。
このような医療の考え方を先制医療と呼んでおり、従来の早期発見、早期治療よりどのような病気になるのか想定し、それに対して、先手を打ち、病気にならないようにすることが可能になるのを目指している、iPS細胞の本当の実力は当にここにあるとありました。
3.これからの医療は-鍼灸の未来は- 東京衛生学園専門学校 小川 卓良先生
今回の学会の会頭である小川先生からは、上の2題の講演を踏まえて、今後の鍼灸はどうあるべきかのお話がありました。
先生は「医療のパライムシフトが起こるのではないか?」それに鍼灸界はついていけず、取り残されるのではないかという危機感を持っておられました。
先にありました講演内容からもそのことが窺えます。
遺伝子的な発想による治療法の開発、iPS細胞を利用した創薬などにより、画期的な治療薬が作られているの事実です。
それにより、従来、西洋医学が苦手としていた疾患の治療を鍼灸が担っていましたが、現在では、そのような疾患の治療機会が減っているとありました。
西洋医学がこのように目覚ましい発展を遂げているのに、鍼灸の世界は、このままでよいのかということはよく理解できます。
鍼灸を含めて東洋医学は、古くからあり、科学的でないイメージもありますが、そうでもありません。
東洋医学思想は、二千数百年前に生まれていますが、鍼灸はさらに二千数百年前から存在していることが分かっています。
これは、東洋医学思想から鍼灸という治療法が作られたのではなく、もともと在った鍼灸が、二千数百年前の「最新の科学」である東洋医学思想から、理論武装したことを示しています。
即ち、鍼灸が生き残るために当時の最新の科学の考えを取り入れ、鍼灸医学を再生させたといえます。
現代でも、同じようなことは起きており、西洋医学的思想からの鍼灸治療法も普及しています。
しかしながら、未来では、遺伝子治療、iPSによる組織の再生、創薬により、現在は西洋医学が苦手にしている分野がそうではなくなり、鍼灸が活躍できる世界が狭くなるのではないかと危惧されています。
4.総合討論
3つの演題を含めて、鍼灸の今後はどうあるべきかという討論がありました。
全体的な意見として、AIが医療職に取って代わることはないのではないか、小川先生の考えているような医療の急激なパラダイムシフトは起きないのではないかという感じでした。
私の個人的な意見としましては、小川先生の危惧を無視することはできないと思っています。
アンドロイド研究の第1人者である大阪大学の石黒先生が、「私の作ったアンドロイドと2,3日、一緒に生活すると恋をしますよ。」と発言されています。
このようなことから、医療は「人と人の触れ合いが大切で、AIが取って代わることが無い」とは言えないと思っています。
実現するのはかなり先の未来だとは思いますが。
現実的な近未来の鍼灸はどうあるべきに関しましては、外科医であり参議院議員でもある古川先生から発言がありました。
「鍼灸の効果はよく理解している、ただ、少しエビデンスレベルが弱いので、そこを強化してほしい。その上で、西洋医学と協力して疾患の治療に当たってほしい。
確かに遺伝子医療やiPS細胞は可能性を秘めているが、いかんせん、費用がかかり過ぎ、政府としても予算が厳しい。その点、鍼灸は費用が掛からないのでありがたい」とありました。
小川先生からは、「そこまで、理解して頂いていれば、ぜひ、保険診療の認可を」とありましたが、古川先生は「そこは自費でお願いしたい」とあり、鍼灸師サイドと政府の考えに、かなり乖離があるようです。
鍼灸の未来はどうなるのか、よく分からないというのが現状のようです。