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【新型コロナウイルス感染防止策を実施中】
当院は感染症における対策を徹底しております。安心してご来院ください。
感染防止対策は以下になります。

・使い捨てのベットシーツ、枕カバーを使用
・胸当て、身体にかけるバスタオルは患者さまごとに交換し洗濯
・枕、胸当ては使用後に消毒用エタノールにて拭き取り
・鍼灸師は毎朝、検温を実施の上、体調管理の徹底
・鍼灸師は治療に入る前後に必ず殺菌・消毒石鹼にて手洗い
・手洗い後、ペーパータオルにて拭き取り
・鍼灸治療の前に速乾性アルコール消毒液にて手指を消毒
・個室ドアの引手を患者さま退出後に消毒用エタノールにて拭き取り
・37.5度以上の発熱、咳、などの風邪症状や息切れなどの症状は事前相談が必要

天空は自分を活かせる環境

重い症状で悩んでいる方を少しでも多く健康に導く

ごあいさつ

こんにちは。私は池田長悦と申します。鍼灸師として、鍼灸院天空で勤務することになりました。

私の趣味は卓球です。中学の時に京都府大会の団体戦で3位入賞の経験があり卓球には少し自信がありました。
しかし、中国での留学時に同級生に元中国代表の卓球選手がいたので対戦を挑んだ結果、こてんぱんにやられました。

中国では引退したアスリートが、大学に特待生として入学することがよくあります。私には6歳の息子が1人います。彼の日々の成長を見守りながら、幸せを感じています。

勉強に明け暮れた幼少期

私は、会社員の父の長男として生まれ、3歳の時に父の転勤により京都に引っ越してきました。

小学校1年生から書道を習い始め、クラスの中で一番字が綺麗と言われるまでに上達し、いつしか周りから「将来は、習字の先生になれるよ。」とまで言われるように。

両親は私に高い期待をし、とても厳しく育てられました。そのころの父の口癖である、「学校の宿題は学校でしなさい。空いた時間で他の勉強をしなさい。」は今でも覚えています。

授業中は集中して勉強し、下校後に公文に通い、家に帰れば、公文の宿題をする日々。
そのせいもあってか、当時の私は勉強は嫌いでしたが成績は良く、得意な科目は、算数と国語でした。

父は有名大学の出身ではなく、一流企業に就職できなかった悔しい思い出があったためか、私には医師になって、豊かな人生を過ごして欲しいと思っていたようです。

そのため、無理をしてまで私を私学に入れさせようと、小学校5年生から進学塾に入塾します。最初の1年間は、夏合宿や定期模擬試験などを含めた基礎学力強化のための授業。

その時の私は、ハードな勉強が辛く、早く受験から解放されたいという思いで一杯でした。
塾の先生から洛南、洛星は無理で、京都成章のゼネラルコース(普通コース)なら合格出来るだろうと説明されました。

三者面談の後、両親は少し安堵した様子でしたが、これまで以上に勉強をさせられるようになります。学校が終わると塾に向かい、授業や試験を受け、塾から戻ると宿題プリントが机の上に高く積み上がる。

宿題をやり終わった時には、日付が変わるなんて日もありました。
そんな努力の甲斐もあって、京都成章に合格。

その時、両親が私以上に喜んでいる姿を見て、自分も嬉しくなり、涙が流れました。ただ、私は内心、これで嫌いな受験勉強から解放されるということに喜んでいました。

成績があがらず苦労した学生時代

中学入学後は、1日も休まずに真面目に授業を受けていたので良い成績を残せていました。
しかしそれに安心したのか高校生では、クラブ活動に熱中して勉強が疎かになり、成績が下がっていきます。

京都成章では、高校からも生徒を募集しており、難しい高校入試を突破している優秀な生徒が集まるため、先取りした内容も直ぐにマスターし、いつの間にか高校編入生に追い抜かれました。

このようなことにショックを受けたせいか、いくら勉強しても以前のような成績が取れなくなります。
そのような私を心配してくれた担任の先生とは、何度も面談し、改善方法などを教えてもらいましたが、それでも成績は振るわず、いつしか「潜水艦」とまで言われるようになりました。

高校2年生になると、進路について考えさせられるように。
会社員の父、専業主婦の母、二人とも私を医者にしたいという想いがあり、父曰く「医者になれば、安定した収入が得られる。」とそのことに大変、執着していました。

私は父を尊敬していたので、父の言うとおりに医学部を目指すことに。

しかし当時の成績では国公立医学部は難しく、地方の私立医学部なら合格できるのではという感じでした。

このようなことを踏まえ両親と相談し、家から通学できる私立の医科大学を志望校とし、2年生、3年生と嫌いな受験勉強を頑張りましたが、結果は不合格でした。

私にとっては、医学部に入れなかったことより、両親を失望させたことがとてもショックで、しばらくの間は落ち込み、誰とも口をきくことができませんでした。

中国医学に惹かれ中国留学へ

高校卒業後は、予備校に通い、毎日図書館で勉強をしていました。

予備校では毎月、模擬試験があり、それに耐えることができず試験前になると不眠症になり、過食症に。予備校の緊迫した雰囲気に馴染めず、精神的に追いやられ、勉強が身につかなくなり、成績が徐々に下がり、現役時代に合格圏内にあった医学部もD判定になっていきました。

そんな状況でしたが、毎日、図書館での勉強は続けていました。

その時に、東洋医学の最も古いテキストである『黄帝内経(こうていだいけい)』という書籍がふと目に入り、気になり手に取り読み始めました。

そのテキストに書かれている東洋医学の自然一体論、万物の根源論、気の思想や陰陽論に陶酔し、貪るように一気に読み終えていました。

そんな中でも、気、血、津液と呼ばれる「物質」の機能改善をすることで、病を予防するという「未病治」という考えに驚き、いつしか強い共感を覚えるように。

そして、中国に留学し、中国医学を勉強したいという思いが沸々と湧き、徐々に強くなっていく自分に気づきました。


中国医学への思いが強くなり、医学部受験へのモチベーションが下がり、受験勉強にも手がつかなくなり、模擬試験の成績は更に下がっていきました。

この現状を見た両親は、私の医学部進学を諦め、「どこでもよいから大学に入りなさい。」と言われたので、中国留学を打ち分けると賛成してくれました。

中国には、主に西洋医学を専門とする医師と、東洋医学を専門とする中医師という2種類の医師制度があり、中医師は東洋医学を専門とするものの、診断や投薬などは、日本の医師と同じように行えました。

留学生として、中医学部に進学するには一定の中国語能力(HSK6級以上)が必要でしたので、北京大学で中国語の勉強をすることになりました。

これまで全く中国語には縁がなかったので、大学の講義だけでは心もとないと思い、中国語の勉強の一環として、一般の中国人学生寮に寄宿することにしました。

北京大学は日本で言えば東大にあたり、中国全土から優秀な学生が集まっており、彼らと一緒に過ごすことで学習意識が高くなり、何としても中国語をマスターしようと頑張りました。

慣れない異国での生活に四苦八苦しましたが、北京大学の学生といろいろな話をすることで多くのことを学び、また、助けてもらったことで、何とか半年後には、HSK6級よりも高い7級に合格できました。

その後は北京中医薬大学に進学するつもりでしたが、学費が高く、生活に余裕がないため、少しでも学費が安い山東中医薬大学を選びました。

山東中医薬大学の授業はパワーポイントを使い、進捗スピードが速く、履修科目も多く、1学期で6教科以上の必修科目がありました。

講義をボイスレコーダーに録音し、キーポイントとなる重要内容を繰り返し聴きながら、日本語に翻訳し、それをノートにまとめ、内容を理解したうえで覚えるようにしました。

各単元ごとに課題レポートが課され、中国語で書き上げるのに時間がかかり、大変な思いをしました。

期末試験は、症例検討するという論述式問題も多く、単に暗記だけでなく、理解力も試され、かなりハードなものでした。

試験対策として、ノート復習と同級生と問題を出し合いながら勉強するということもしました。

そんな中、私が今でも忘れ難い出来事が、大学3年生の時に受けた『傷寒論(しょうかんろん)』と『温病論(おんびょうろん)』の期末試験でした。

『傷寒論』と『温病論』は、漢方薬の原典とされる教科書で、古代漢語で書かれており、普通の教科書より内容の理解が難しい上に試験範囲が広く、過去問対策だけでは不十分でした。

そのため、試験前日まで、できるだけ多く原典の文章を覚えるようにしました。

このように試験勉強を死に物狂いでしたせいか、試験当日には高熱を出し、ふらふらになりながら試験を受け、終わった時には鼻血が出ました。

そんな努力の甲斐もあり、5年間の留学生活は、留年もなく、無事、卒業できました。

過酷な生活を耐え凌いだ臨床実習生時代

中国では、5年制の医学部卒業後に1年間の臨床実習を終え、OSCE(客観的臨床能力試験)に合格後、医師国家試験の受験資格が与えられるため、私は第一附属病院に臨床実習生として、オファーを出しました。

すると大学側から高額な実習費を請求されます。

留学生は一般の中国人に比べ、高額な実習費を払わなければいけず、憤りを感じましたが仕方ありませんでした。

当時の私には経済的余裕はなく支払うことができず、途方に暮れます。
そんな時、父親が病院長をしている友人に藁にも縋る思いでお願いをしたところ、その病院で実習させて貰えることに。

実習費は払わずに済みましたが、片田舎にある病院での実習生活はとても不便でした。

実習生宿舎は、4人部屋でシャワーや暖房がなく、水道水で体を洗い、アルコール度数の高いお酒を飲みながら、寒さを凌ぐという生活を送ります。

ただ、友人に対して今でも感謝の気持ちで一杯です。
1年間の実習プログラムは、内科、外科、婦人科、小児科と漢方外来、鍼灸外来に分かれ、各科に2ヶ月おきにローテーションするというものでした。

初めは指導医師のもとで徒手検査、カルテの記入、定期的な症例報告会議の資料作りを担当。私の指導医は大変厳しい方で、カルテ内容が指導医の指示通りに書かれていない時は、すぐに怒鳴られました。

ある時は、カルテを2階から外に放り投げられたこともあります。

今考えるとカルテが通行人に当たって、怪我をさせる恐れがあり大変危険ですね。

鍼灸科には、顔面神経麻痺や脳梗塞、パーキンソン病の患者さんが多く来院されていました。

私が在籍していた病院は、中国の華北地方にあり、冬になると気温は-5℃にまで下がり、この寒冷刺激により、顔面神経麻痺にかかりやすく、特に多かった印象です。
実習先の病院では、老中医(ろうちゅうい)と呼ばれる臨床経験豊富なベテラン中医師が在籍しており、顔面神経麻痺患者さんの拘縮した顔面に燔鍼(バンシン)を使っていました。
燔鍼とは火で炙った鍼を素早く刺して、素早く抜く中国古来の鍼方法です。
燔鍼で翳風(えいふう)、迎香、合谷や足三里といったツボに鍼をし、素晴らしい結果を出していました。
また、老中医の先生は、パーキンソン病の患者さんに対して、頭にあるツボや新しく効果があると分かった場所に鍼を刺し、想像以上の効果を上げていました。
老中医について外来診察や入院患者さんの回診などの指導を受け、実際に老中医の鍼灸施術を目の当たりにし、その素晴らしさに感動しました。
将来は、「自分も老中医のようになりたい」と思うようになりました。
このように私にとって、病院での臨床実習は有意義なものでした。

国試対策も当然必要ですので、日中は病院で患者さんの治療にあたり、夜になると宿舎に戻り、中医師国家試験の過去問題をひたすら解き、宿舎の消灯時間が過ぎても、懐中電灯の灯りをもとに勉強をしました。

昼夜問わず、時間のある時は、ひたすら勉強です。
中国における中医師の国家試験は、毎年、合格率が20%前後の難関試験です。
これは、中医学部卒業後、臨床実習を1年間経験した後に受験資格が与えられることと、大学の授業に中医師国家試験対策がないことにあります。

また、中医学部卒業後の臨床実習先は、各自で決める必要があり、私を含め同級生の実習先病院がばらばらなので、実習先の病院で1人孤独に試験対策をする必要があります。
このように孤独で、いかに自分に打ち勝つが決め手になりますので、合格率が低くなりやすいです。

そんな環境下でしたが、努力の甲斐があり、中医師国家試験に一発で合格できました。実習先の病院には、私を含め4人の実習生がいましたが、合格できたのは私だけです。

努力と苦労が実を結ぶ中医師時代

中医師国家試験合格後は、中医師として大連の日本人向けクリニックで訪問診療の仕事に付きました。

主に鍼灸治療や漢方相談を行いながら、現地の日本人コミュニティーにも積極的に参加。

当時、中国で日本人の中医師は珍しく、重宝がられ訪問診療では連日、多忙な日々を過ごしていました。

そんな中、大連医科大学循環器内科の姜 一農教授と知り合いました。

姜教授は、日本の愛媛大学医学部に留学され、そこで医学博士号を取得された西洋医学の医師ですが、中医学にも理解のある先生で、私に先生の研究室で研究をしないかと声をかけてくださいました。

中国の大学院修士過程は、臨床型修士と研究型修士に分かれており、私は臨床経験を積むために臨床型修士に進学し、姜教授の高血圧臨床研究チームに加わることになります。
日本留学経験のある姜先生とは日本語でコミュニケーションを取ることができ、これまでと違い楽な感じで研究を進めることができました。

また先生との距離感も近くなり親近感が芽生え、快適に過ごせました。

修士課程1年目に中国政府奨学金を申請し、許可されたので、大学院在学中の学費、生活費、宿舎費、教科書代が無料となりました。
これらは全て、留学生として中医師国家試験に合格し、日本の文部科学省からの推薦で公費留学生として、中国政府からの奨励があり実現したことで、これまでの努力と苦労の賜物です。

このようなことがあり、姜教授の下で臨床研究に没頭することができました。

午前中は、附属病院で外来門診に同行し、主に高血圧の原因となる副腎性クッシング症候群、原発性アルドステロン症の診療を行い、副腎皮質の腹腔鏡カテーテルによる副腎動脈の採血、ホルモン検査なども行い、午後は、修士論文のための研究をしました。

修士3年で学んだ大切なこと

私の修士論文は、「原発性アルドステロン症におけるBNPの有効性について」です。

原発性アルドステロン症は、副腎皮質で分泌されるホルモンで過剰に分泌されると高血圧を引き起こす要因となります。

原発性アルドステロン症の治療には、利尿薬が使われますが、長期投与でカリウム低下症を引き起こしますので、それに代わるBNPの有効性について、論文にまとめました。

BNPは、脳性ナトリウム利尿ペプチドで、心臓を守るため心臓から分泌され、心機能が低下すると多く分泌され、また、血圧を下げ、利尿を促進させます。

私にとって修士3年間は、臨床医学に触れる大きなきっかけとなり、中医学以外の知識を修得することで視野が広がりました。そして、修士卒業後に、日本へ帰国しました。

日本帰国後、大学での教育方針に疑問を覚えた

日本帰国後は、大学院の同級生の父が理事長をしている医療大学の教員として勤務することになりました。

当時の肩書は、鍼灸学科助手で、主な仕事は、教授が講義で使用するパワーポイントやプリント作成、期末試験の試験監督、事務としての大学運営業務でした。

医療系の大学はどこでもそうですが、毎年の鍼灸師国家試験合格率により、志望者数が左右される傾向にあります。

そのため、教職員一同は、必死で合格率を上げようとしていましたが、教授ともなると自身の専門分野以外の鍼灸師国家試験対策授業は、やりたくない仕事でした。

そこで、中医師である私に白羽の矢が立ちました。日本の鍼灸教育も中医学を基礎にしているので、日本よりはるかに難関である中医師国家試験に合格した私が適任とされたようです。

私は、東洋医学概論と経絡経穴を担当しましたが、中医師資格では日本で鍼灸施術をすることができないため、実技科目を担当することはできませんでした。

実技教育も任せたいと思った大学から、日本での鍼灸資格を修得するようにとあり、大学の姉妹校の専門学校に通うことに。

大学での仕事は拘束時間が長く、想像以上に激務で、学生指導以外に雑用を課せられ、サービス残業も多くありました。

専門学校入学後も、夜間の授業に間に合うようにと定時で退勤できましたが、授業終了後に大学に戻り仕事を続けなければならず、勤務時間は変わりませんでした。
仕事と勉強を両立させるために休むことなく働き、暇があれば鍼灸の勉強をし、テスト前になると睡眠時間を削り勉強をしました。

その時の精神状態は、張り詰めた弦のようでいつ切れても、おかしくない感じでした。
上司に相談しましたが、何の改善もなく、同じように仕事と勉強を続けていたせいか、以前に比べ眠れない日が続き、突然泣き出してしまうことも。

心配になり心療内科を受診し、うつ病と診断され睡眠導入剤を処方されましたが、服用しても効果はなく、知り合いの鍼灸院にて鍼灸を受け、少し症状が改善しました。

その後、大学を休職し、自宅療養に専念しながら鍼灸師国家試験の勉強をし、そして、無事合格できました。
ただ、長期休職を理由に、大学側からの契約更新はされず、そのまま退職となります。

その後、医薬品登録販売者の資格を取得するために、2年間ドラッグストアに勤務。

鍼灸と漢方薬併用の大切さ

日本では、医師は医療に関して全ての業務を行うことができますが、薬剤師、鍼灸師などはそれぞれ、薬、鍼灸に関してのみとなります。

中国での中医師は、主に鍼灸・漢方薬併用で治療を行い、その効果は鍼灸単独、漢方薬単独より大きなものです。
日本でも同じことをするには医薬品登録販売者の資格が必要で、それを取得するべくドラッグストアに勤めることにしたわけです。

資格取得後、鍼灸整骨院に勤務し、主に肩こり、腰痛に対して鍼を刺し、電気を流すという施術やトリガーポイントと呼ばれるところに鍼をする施術をしていました。

毎日、流れ作業のように数多くの患者さんに施術をしていましたが、勤務先の整骨院で決められた方法でしか施術できず、中国での経験が全く生かされずに、時間だけが過ぎていく感じに、今後どうなるのだろうと不安と恐怖感で苛まれました。

また、鍼灸整骨院で同僚がコロナに感染し、濃厚接触者になっても、通常通りに施術しなければならないことに疑問を感じ、休日もままならず、家族との時間も取れないので、コロナが終息し始めるのを見計らって、退職しました。

自分の経験を活かせない悩み

退職後、介護施設で施術担当をしましたが、やはり自分の経験を生かすことはできませんでした。
諺に「若いときの苦労は買ってもせよ。」とあります。今、私にとって中国での苦労はかけがえのない宝です。

私の強みは東洋医学の舌診や脈診で診断し、鍼灸と漢方薬で患者さんの複雑で深い悩みである症状を和らげられることです。
中国で中医師として多くの患者さんを健康へと導いてきたことから、この点には自信があります。

ただ、帰国後は、「医師」としての中国と日本との違いに苦しみ、日本で自分の経験を活かすことができないことに悩み、鍼灸師としての将来像も描けず、このまま忸怩たる気持ちで、単に生活するためにだけ仕事をしなければならないのかと思い悩んでいました。

鍼灸院天空との出会い

そんな最中で知ったのが鍼灸院 天空でした。

院長候補を募集していることが分かり、ここなら私の経験を十二分に活かせるのではと応募したところ、無事、採用されました。

鍼灸院 天空は鍼灸を鍼灸として実践している数少ない鍼灸院で、自律神経失調症、線維筋痛症などの原因不明の疼痛、うつ病などの精神的な症状や、不妊を得意にしている鍼灸院ですので、私にとって理想的な環境になります。

また、代表の夘野先生から「池田先生が慣れてきたら、漢方薬を扱ってもよい」とあり、私が理想としている鍼灸と漢方薬の併用ができることはうれしい限りです。
これから私が目標にしているのは、経験豊富な老中医に匹敵する臨床能力を持つことです。

私は大学院で研究することの大切さと、その大変さも実感することができましたが、研究者より臨床家が自分にとって合っています。

日々の施術の中で患者さんと信頼関係を築きながら鍼灸を進めていくことで、想像以上の結果を出せることや、私自身もうつ病を鍼灸で改善できたことなどから、鍼灸の良さを改めて実感し、臨床家として極めたいという思いで一杯です。

そして、鍼灸だけでなく漢方薬を併用することで、より重い症状で悩んでいる方を少しでも多く健康に導くことができるような鍼灸をおこなっていきたいです。

まだまだ未熟な私ではありますが、鍼灸院 天空にて更に成長を目指していきますので、よろしくお願い致します。

主な所属学会

国内

全日本鍼灸学会
日本顔面神経学会
日本生理学会
在日中国人医師協会
日本医薬品登録販売者協会

海外

中華医学会

鍼灸施術費用

鍼灸内容回数値段
一般鍼灸治療
※院長指定の場合は、別途3,500円発生します。
1回6,500円
不妊鍼灸
※院長指定の場合は、別途3,500円発生します。
1回6,500円
美容鍼灸(美肌全身コース)1回9,500円
小児はり1回3,000円
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※免責事項:掲載された事例や患者様の体験談は個人の感想や成果によるものなので、全ての人への効果を保証するものではないことと御理解ください。施術による効果には個人差があります。