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鍼灸院天空 スタッフ紹介

高橋 結衣
名前高橋 結衣

私は、愛媛県松山市の穏やかな環境で育ちました。公務員の父、専業主婦の母、そして3歳下の妹という4人家族。幼い頃の私は、「インフルエンザの流行でも一人だけうつらない」と母が語るほど、とにかく健康で丈夫な子どもでした。風邪をひいても一日休めば翌日には元気いっぱいの、文字通りの健康優良児でした。

そのエネルギーは、様々な習い事に向けられました。ピアノ、お琴、習字、そしてバスケットボール。親に勧められたものもありましたが、多くは「やりたい!」と自分からお願いして始めたものばかりで、これらはすべて中学校を卒業するまで続けました。この時期に培われたのは、新しいことへの尽きない好奇心と、一度「決めたことを最後までやり抜く強い意志の力」だったと、今振り返ると思います。

小学校高学年では陸上競技にも挑戦し、県大会にも出場するまでになりました。最も多忙な時期は、朝は陸上の朝練、放課後は授業後の練習、さらにミニバスの練習。帰宅後、夕食と入浴を済ませてから習字へ向かい、帰宅が夜10時を過ぎることも珍しくありませんでした。体力的にはハードな毎日でしたが、当時の私には疲労感よりも「楽しい」「もっと上手くなりたい」という気持ちが勝っていました。何事にも全力で取り組む子どもだったと実感しています。

勉強に対しても、興味のあることはとことん突き詰める一方、興味のないことには一切手をつけないという、非常にメリハリの効いた性格でした。周囲の目や評価よりも、自分の気持ちを大切にし、全力で物事に取り組んでいた私は、周りから自己主張が強い子どもだと思われることもあったと思います。それでも、そんな私をいつも温かく見守ってくれた両親には今でも心から感謝しています。

中学校に進学し、小学校から続けていたバスケットボール部に入部し、引き続きキャプテンを務めました。陸上競技の大会があるときには助っ人として参加し、合唱コンクールではピアノの伴奏を務め、何かと学校生活の中心にいる「目立つ存在」でした。

しかし、この頃から女性としての身体の成長とともに、少しずつ体調に違和感を覚えるようになりました。

小学校時代とは打って変わり、突然体調を崩しやすくなり、原因不明の疲労感に悩まされるようになったのです。特に私を苦しめたのは、激しい生理痛でした。練習中に痛みのあまり倒れてしまうこともあり、痛み止めが手放せない状態が日常となりました。外向きには明るく活発な私、しかしその身体の内側は非常に繊細になっていました。「なぜ…」という戸惑いと、誰にも理解されない辛さの中で、私は活動的な自分と不調を抱える身体という、二つの矛盾した現実を生きるようになりました。病院に行っても「異常なし」と言われ、自分の努力では解決できない、この「見えない不調」こそが、のちに私を鍼灸の道へと導く、スタート地点になっていたのかもしれません。

私の幼い頃からの夢は「幼稚園教諭になること」でした。保育や幼児教育が学べる高校を志望しましたが、進路指導の先生からは「あなたの学力に合わない。もっとあなたの学力に合った進路に行くべきだ」と強く反対されました。

「自分の進路は自分で決める」と頑として譲らなかった私ですが、最終的には「国公立や難関私立大学を目指す高校」を受験することで先生との折り合いをつけました。しかし、合格した入学式の日、私の胸には常に「幼稚園教諭になりたいのに、私はなぜここにいるのだろう」という、夢に直結しないことへの違和感と物足りなさが残りました。

そんな中で、私は「ここなら本気になれるかもしれない」という思いから、県内トップクラスの陸上競技部に入部し、部活中心の高校生活を送ります。ここで、試合に帯同してくださる柔道整復師や鍼灸師の先生方と出会い、鍼治療を初めて受けます。「痛いかも…」という不安とは裏腹に、ほとんど痛みがないことに驚き、「鍼ってこんな感じなのか」と、人生で初めて鍼灸という存在に触れました。しかし、この時点では、これが将来の進路に繋がるものだとは、夢にも思っていませんでした。

高校卒業後、私は「とにかく大阪に行きたい!」という思いから、関西大学商学部に入学しました。大学生活は非常に楽しく、友人にも恵まれ、ベリーダンスサークルにも所属して充実した日々を過ごしました。初めての一人暮らしで戸惑うこともありましたが、友人や家族の支えのおかげで生活に順応できました。

就職活動では「人の人生に深く関わる仕事がしたい」と考え、商学部で学んだことを活かせることができる大阪の信用金庫に就職しました。

入行後は窓口業務でしたが、その後、外回りの営業となり、人と話すことが好きな私にとって、地域の方々と関わる営業の仕事はやりがいを感じるものでした。しかし、季節や天候に関係なく一日中外回りをするハードな日々は、私の身体を確実に消耗させていきました。熱中症になったり、体調を崩す回数が増え、「一生懸命働いても身体がどんどんすり減っていく」という感覚を抱き始めます。さらに、ピリピリとした職場の雰囲気の中で、「平日はしんどい仕事、週末を楽しみにする」という生活が続きました。

そして26歳の頃、私の心の中に、ある問いが浮かぶようになりました。「このまま定年まで働く生活で良いのだろうか」「私は本当に、人の人生に深く関わる仕事ができているのだろうか」「自分の人生を大切にしながら働けているのだろうか」。

そんな問いを抱える中で、中学生の頃、原因が分からない体調不良や生理痛に悩まされていた日々があったことを、ふと思い出しました。成長とともに一時は落ち着いていたものの、信用金庫で営業職として働くようになり、忙しさを優先する生活が続く中で、次第に自分の身体を後回しにしている感覚が強くなっていきました。

「仕事だから仕方がない」「みんな同じように頑張っている」そう言い聞かせながら働いていましたが、心と身体のどこかに、常に違和感が残っていました。

そのとき、ふと頭をよぎったのは、「私と同じように、身体を後回しにしながら働いている女性が、きっとたくさんいるのではないか」という思いでした。

生理痛や体調不良を抱えながら働くこと。将来、妊娠や出産を考えたいと思っていても、今はそこまで向き合えない現実。そうした女性たちの気持ちに、私は次第に自分自身を重ねるようになっていきました。

自分が感じてきた不調や違和感を、「我慢するもの」として終わらせるのではなく、同じように悩む女性に寄り添える仕事がしたい。そう考えるようになり、私は安定した生活という枠を越えて、27歳で鍼灸師の道を選びました。

しかし、この専門学校での3年間は、私の人生の中でも最もつらい時期となりました。

まず、私自身が予想外の不眠症に悩まされました。「すぐ眠れるタイプ」だと自負していた私が、夜、まったく眠れなくなったのです。疲労は蓄積し、体力は回復せず、授業内容も頭に入らない。「このままでは国家試験を受けられないかもしれない」「眠れないのは自分のせいだ」と、心身ともに疲弊し、自分を責める日々が続きました。

さらに、私を苦しめたのが鍼灸そのものへの根深い疑念でした。金融機関で、数字と明確な根拠に基づいて仕事をしてきた私にとって、東洋医学の授業で語られる「科学的根拠が曖昧な概念」は、どうしても納得できませんでした。

「鍼灸は本当に効くのか?」「効果は一時的なもので、根本的な解決ではないのではないか?」

この「曖昧さ」こそが、私にとっての最大の敵でした。鍼灸師としての道を志しながら、鍼灸を心の底から信じられない。この矛盾を抱え、さらに、周りの友人が不妊に悩み始めた時、「鍼灸で助けたい」という思いとは裏腹に、「今の自分には、誰かを救えるだけの技術も知識もない」という無力感に苛まれました。

国家試験に合格した後も、この鍼灸への懐疑的な気持ちは払拭されませんでした。私は、不妊鍼灸の専門院で働くという当初の目標をすぐには選べず、鍼灸院と税理士事務所での勤務を並行する「二刀流」の生活を選びました。「また、出産経験のない自分が不妊治療の患者様に受け入れられるのだろうか」という不安も、一歩を踏み出せない大きな要因でした。

そんなモヤモヤとした数年間を過ごしていたある日、友人から「逆子で困っている。もう32週で、このままだと帝王切開になるかもしれない」と相談を受け、鍼灸施術をする機会がありました。当時の私が持つ知識と技術を最大限に注ぎ込み、できる限りのサポートを行いました。すると翌日、「無事に戻ったよ!」という連絡が入り、胸が熱くなるほど嬉しく、思わず手が震えたのを今でも鮮明に覚えています。

この出来事は、モヤモヤした日々の中で唯一、「自分の手が誰かの人生に確かに役立った」と心から実感できた瞬間でした。新たな命を生み出すお手伝いができることの尊さ。無事に生まれてくるまで寄り添える存在でありたいという思い。

その願いが日ごとに強くなっていった、まさにそのとき運命的な出会いが訪れました。

それが、「鍼灸院 天空」の求人情報でした。そこには、私の心を射抜く言葉が書かれていました。

「根拠を持ってできる鍼灸師を育成する」

「病を治すだけでなく、患者さまに豊かになってもらう」

これを見た瞬間、「ここしかない」という直感と共に、心が大きく動きました。そして、私は人生の最大の試練に立ち向かう決意をします。

面接で、夘野代表に、私が抱えてきた鍼灸へのすべての曖昧な疑問と不安を正直に話す、という決断です。「このモヤモヤを抱えたまま半端な鍼灸師になるくらいなら、いっそ正直に話して、落ちたら別の道を考えよう」と覚悟を決め、面接に臨みました。

私の率直な告白に対し、夘野代表は笑顔でこうおっしゃいました。

「鍼灸院 天空なら、その疑問をすべて解決できますから安心してください」

この言葉が、私にとっての救いとなり、長く続いた疑念の旅を終わらせることとなりました。

入社後、疑問はすぐに解決できる環境が整い、東洋医学を科学的、論理的に学び直すことで、私の中の「曖昧さ」は確信へと変わっていきました。そして、5年以上悩み続けた不眠症は、入社後まもなく改善し、今では薬に頼ることなく深く眠れる日々を送っています。

今、ようやく「自分の人生のスタートラインに立てた」と心から感じています。

私は知っています。

原因がはっきりしない体調のつらさを。

「異常はありません」と言われながらも、どこかに不安が残ってしまうあの感覚を。

そして、「変わりたい」と強く願いながら、なかなか一歩を踏み出せないもどかしさを。

だからこそ、私には揺るぎない使命があります。

鍼灸院 天空で私自身が手にした「確かな根拠と技術」をもとに、不妊をはじめ、生理痛やPMS、自律神経の乱れなど女性のライフステージに伴って起こりやすい不調に向き合いながら、妊娠を望まれる方には、妊娠しやすい身体づくりから無事に出産の日を迎えるまで、一人ひとりの状態に合わせてサポートしていくことです。

私のこれまでの道のりは、まっすぐではありませんでした。

鍼灸師になるまでに経験した体調不良や心の揺れ、鍼灸への迷い、不眠症との向き合いは、決して華やかなものではなく、時には「自分はどこへ向かっているのだろう」と立ち止まる日もありました。けれど、その経験があったからこそ、私は“女性の身体が不調を抱えたとき、心までどれほど影響を受けるのか”を深く理解できるようになりました。そして、私はただ技術を身につけるだけでは得られなかった学び、ただ知識を増やすだけでは気づけなかった痛みを知ることができました。

それら一つひとつの経験が、今の私を支える大切な土台となっています。

どんな人生を選ぶかは、今この瞬間に自分で決めることができると思っています。

そして、人は「変わりたいと思ったとき、いつでも変わることができる」そう信じています。

「心も身体も整えたい」「新しい命を迎え、無事に出産したい」「ここから、新たな人生を歩んでいきたい」

その願いを持って鍼灸院 天空を選び、来院してくださる患者さまに寄り添い、全力でサポートできる鍼灸師でありたいと強く思っています。

あなたが抱える心と身体の不調を、私も経験したからこそできる深い共感と、確かな根拠に基づく技術で受け止め、誠実に向き合っていくことをお約束します。

あなたの「変わりたい」を、「変われた」に変えるために。

その覚悟を胸に、鍼灸師として、あなたの人生の伴走者として、これからも成長し続けます。どうぞ、安心してあなたの未来を私に託してください。

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